ベトナムにおいて学士号はもはや必須ではない

職業訓練校に通うことは、子供たちに大学に通って欲しいと願っていたベトナム人の多くの親にとって、長い間、考えられないことでした。今、若者達は昔ながらの概念に逆らうために立ち上がっています。

3年前、当時20歳だったGia Huy君は、ホーチミン市交通大学で2年目を終え、卒業せずに辞める決意をしました。彼は両親から薦められて、橋梁工学を専攻しました。しかし一年目で、これは自分に合わないと感じた彼は苦しみました。

「大学の4年間が耐えられなくなったら、どうしたらいいのか、卒業できるのか」と、Gia Huy君はトイチェー(若者)新聞で語りました。

彼が両親に伝える前に、学校を辞めて、ツアーガイドを養成する職業訓練コースに登録するための十分な勇気を得るには、2年かかりました。

「母は何が良くなかったのかを尋ねるのに十分な気を遣ってくれましたが、父は非常に怒っており、4ヶ月間私にお金を与えるのを止めました。私はコースの開始日を待つ間、生活するお金を稼ぐためにパートタイムで働かなければなりませんでした。父が私の決定を受け入れてくれるまでに、かなりの時間を要しました」と彼は語っています。

Huy君は職業コースを修了し、現在はホーチミン市でツアーガイドとして働いています。仕事は肉体的には消耗するものの、彼は毎日新しい人と出会い、常に旅行していることがとても楽しいと感じているそうです。

「私はまだあまり稼げませんが、仕事や同僚から多くのことを学ぶことができます。私の仕事で最も誇りに思うのは、仕事中に喜びを見い出せるということです」と彼は語りました。

しかし、誰もがGia Huy君ほど勇敢ではありません。匿名を求めたMは、ホーチミン市教育大学で化学の学士号を取得するために、4年間最善を尽くしました。

Mは、2年目から専攻が自分にふさわしくないと感じていましたが、家族や友人からのプレッシャーが大きすぎて、話を切り出せなかったそうです。

彼は両親が望んだ通りに卒業し、その分野で仕事を得ましたが、6ヶ月働いてギブアップしました。仕事は彼を精神的に疲れさせ、彼は辞めて職業訓練コースに登録しました。

「ただお金を稼ぎ出世したいなら、やるべき仕事はたくさんあります。しかしその仕事が楽しくて長く働くことができ、有意義な人生になる仕事でなければなりません。好きな事ややりたいことを学び、好きな仕事ができる事ほど幸せなことはありません」Mは語っていました。

Việt Giao Vocational Schoolの校長を勤めるTrần Phương氏は、多くの学生が両親からのプレッシャーで学校や専攻を自分で選ぶことができずに大学に通っていたと述べています。また、子供自身が科目を好まなかったら、働き始めても続けるのはどんどん難しくなるだろうと、付け加えています。

SàiGòn Tourism Vocational Schoolの校長であるNgô Thị Quỳnh Hương氏は、両親や祖父母が同じキャリアで働いている家族は、次世代に「家族の伝統を守ってほしい」と思っている、と述べています。

「しかし、両親はそのキャリアで順調にいっているとは限らず、又、子供はそれぞれ違う興味を持っているので、必ずしも順調にいくとは限りません。両親は提案だけをするべきであり、子供の人生とキャリアを決める権利を、子供から剥奪するべきではない」と氏は述べました。

また「近年は、短期大学や専門学校で学んだことを生かし、日本で最新技術や国際的な見識を深めようとする学生や卒業生が増えています。しかし、日本での就労は大卒でないと難しいことから、外国人技能実習生制度を利用して日本就労を目指す人も多いです」とベトナム人学生支援を行なっている専門家は語っています。

外国人技能実習制度とは、1960年代後半頃から海外の現地法人などの社員教育として行われていた研修制度が評価され、これを原型として1993年に制度化されたもので 、日本が先進国としての役割を果たすべく、最先端の技術・技能をOJTを通じて開発途上国(アジア全般)へ移転を図り、途上国の将来的な経済を担っていくべき「人づくり」を行う国際貢献の為の制度です

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